朝焼け いつもまぶたの裏がわに息子たちの写真をたっぷりと蓄えてから家を出るので、帰路につく頃ぐらいまでは、瞬きのスライドショーは持続してくれる。水洗いの冷たさに手をこすり合わせれば、そこには小さなモミジ二枚のぬくもりが蘇ってくれるのです。それを栞に描く日記帳は、書いてもページに終わりの来ない紙でできていて、絵に出来ないアルバムは色あせることがない。いずれ息子たちはそこで未だかつて知らぬ自分と遭遇し、再び産声をあげる日を迎えることでしょう。
これまで知らなかった自分自身と数人出会い、古い自分とさよならを数回繰り返すのが人間ではないだろうか。思えば苦楽は自分が生まれてきた理由と今子供たちが生きている理由のように表裏一体のもので、光と影の関係のように単に森羅万象の一つに過ぎないと考えらないこともない――ただ、その入り組み方が一つ一つを揚棄するには人一人の一生では足りない数の行列を今も尚蓄え続けているだけのことで。
今朝、保育園の面接を終えた長男がベランダから指をさしていた朝日にはどこか見覚えがあり懐かしく思った。不覚にも季節の変わり目にひいてしまった風邪がなかなか治る様子をみせないけれど、氷点下を迎えるに心の準備は万端といったところです。
maru



ナナハンパパの押しがけツーリング紀行文&グルメ日誌
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